医療判例解説 第4号収録事例の判決文
抗生物質投与後にアナフィラキシーショックで死亡した裁判事例(最高裁判決)

【判決要旨】
 患者が受診する際にアレルギー症状があることを申告し、かつ主治医も問診時にそのことを聞いていたが、これを担当看護師には伝えず、看護師が抗生剤の点滴静注を行った直後に、患者がアナフィラキシーショックを発症して死亡した事案につき、問診した主治医はアナフィラキシーショックを予見し、看護婦に点滴投与後の経過観察を十分に行うこと等の指示等をすべき注意義務を怠った過失があるとされた事例。

最高裁(三小) 平成16年09月07日判決(破棄差戻)
事件番号    平成13年(受)第164号 損害賠償請求事件
(原審) 大阪高裁 平成10年(ネ)第536号、1544号

主    文
 原判決を破棄する。
 本件を大阪高等裁判所に差し戻す。

理    由
 上告代理人宮下靖男の上告受理申立て理由第五について
  1 被上告人Y1が開設したA病院(以下「本件病院」という。)でS状結腸がん除去手術(以下「本件手術」という。)を受けた患者であるB(以下「B」という。)が、手術後、本件病院において、点滴による静脈注射(以下「点滴静注」という。)により継続的に抗生剤を投与されていたが、新たな抗生剤が投与された直後に、呼吸困難その他薬物ショック性の各症状を発症し、その約3時間後に急性循環不全により死亡した。本件は、Bの妻子である上告人らが、Bが死亡したのは、Bの主治医であったY2(以下「Y2」という。)が上記抗生剤投与後の経過観察をすべき注意義務及び救急処置の準備をすべき注意義務をそれぞれ怠った過失によるものであるなどと主張して、被上告人らに対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償を求める事案である。
  2 原審の確定した事実関係の概要等は、次のとおりである。
  (1) Bは、平成2年7月19日、本件病院で診察を受け、注腸造影検査を受けた結果、S状結腸がんと診断され、同年8月2日、本件病院に入院し、Y2が主治医となった。
 Bは、上記受診の際、「申告事項」と題する書面の「異常体質過敏症、ショック等の有無」欄の「抗生物質剤(ペニシリン、ストマイ等)」の箇所に丸印をつけて提出し、また、入院時には、本件病院の看護婦に対し、風邪薬でじんましんが出た経験があり、青魚、生魚でじんましんが出る旨を告げた。Y2は、上記書面の上記記載内容を見た上で問診を行ったが、その際、Bから、薬物アレルギーがあり、風邪薬でじんましんが出たことがある旨の申告を受けた。これに対し、Y2は、風邪薬とは、抗生物質の使用されていない市販の消炎鎮痛剤のことであろうと解釈し、Bに対し、具体的な薬品名等、申告に係る薬物アレルギーの具体的内容、その詳細を尋ねることはしなかった。
  (2) Bは、同月8日、Y2の執刀により、本件手術を受けた。
 Y2は、手術後の感染予防を目的として、本件手術直後から、第二世代セフェム系抗生剤であるパンスポリン及び第三世代セフェム系抗生剤であるエポセリンを、いずれも皮膚反応による過敏性試験の結果が陰性であることを確認した上で投与した。
 手術後8日目の同月16日、本件手術のふん合部に留置したドレーンに便汁様の排液が認められ、小縫合不全と診断された。
 同月21日、Y2は、起炎菌の同定及び起炎菌に対する抗生物質の感受性を調べるため、上記ドレーンからの分泌物を細菌培養検査に出した。
 同月23日及び24日には、Bに38度位の発熱が認められたことから、縫合不全の炎症が持続していると考えられた。また、上記各抗生剤の投与が2週間以上となり、菌交代現象等により縫合不全部の炎症に対する上記各抗生剤の効果が低下している可能性があることから、Y2は、抗生剤を変更する必要があり、合成ペニシリン系のペントシリンと第三世代セフェム系のベストコールを併用して投与するのが適当と判断した。そして、Bに対する上記各抗生剤の過敏性試験が行われ、いずれも陰性と判定された。
 同月25日午前10時、Bに対してペントシリン2gとベストコール1gが点滴静注により投与されたが、Bに異常は認められなかった。
 同日昼に前記細菌培養検査の結果が判明し、4種類の菌が確認された。この結果によれば、ベストコールは2種の菌に、ペントシリンは3種の菌に感受性が認められたが、テトラサイクリン系抗生剤のミノマイシンは4種の菌すべてに感受性があることから、薬剤変更の緊急の必要性はなかったものの、Y2は、ベストコールをミノマイシンに変更するのが適切であると判断し、これと殺菌力を有するペントシリンとを併用することとし、同日夜の投与分からペントシリンとミノマイシンの投与を開始することとした。なお、ミノマイシンは、過敏性試験をしても、アレルギーの有無にかかわらず反応が現れる薬剤とされていることから、過敏性試験は行われなかった。
  (3) 同月25日午後10時、本件病院のC看護婦(以下「C看護婦」という。)は、Bの病室に入り、Bに対し、ペントシリン2g及びミノマイシン100mg(以下、これらを併せて「本件各薬剤」という。)の点滴静注を開始し、その直後の午後10時02分ころ、点滴静注開始によるBの状態の変化の有無等の経過観察を十分に行わないで、Bの病室から退出した。なお、上記の本件各薬剤の投与に際し、Y2から、C看護婦に対し、投与方法、投与後の経過観察等についての格別の指示はなかった。
  (4) 上記点滴静注を開始して数分後、Bは、うめき声を上げ、妻のX1(以下「X1」という。)に対して、点滴の影響で苦しくなったので、看護婦を呼ぶように求め、X1は、ナースコールをした。
 本件病院のD看護婦(以下「D看護婦」という。)は、看護婦の詰所で上記ナースコールを聞き、午後10時10分にBの病室に入った。D看護婦は、Bから、気分が悪く体がピリピリした感じがするという言葉を聞き、さらに、X1から、本件各薬剤を投与してから異常が現れたと告げられたため、本件各薬剤の投与を中止し、後からBの病室に入って来たC看護婦にBの様子をみておくように伝えた上で、当直医のE医師(以下「E医師」という。)を呼びに行き、午後10時15分、E医師に連絡した。
 E医師が病室に到着するまでの間、C看護婦は、Bから、気分が悪いと言われたため、背中をさすって様子を見ていたところ、Bは、「オエッ」というような声を何回か発した後、白目をむいた。
 その後、E医師とD看護婦が病室に到着したが、その時点において、Bは、既に意識がなく、顔面にチアノーゼが出ている状態で、ほぼ呼吸停止かつ心停止の状態であった。E医師は、アンビューバッグを用いるなどして人工呼吸を行い、看護婦が心臓マッサージを行った。E医師は、当直医のF医師(以下「F医師」という。)の応援を求め、F医師は、約1分後にBの病室に到着した。この時、Bは、1分間に10回深呼吸をする状態であった。
 午後10時30分に、E医師が気管内挿管を試みたが、こう頭浮しゅが強かったため挿管することができず、F医師がこう頭せん刺を行い、午後10時40分に気管内挿管がされたが、そのころ、呼吸停止、心停止が確認され、午後10時45分から強心剤であるアドレナリン(ボスミン)等が投与され、人工呼吸及び心臓マッサージが続けられたが、翌26日午前1時28分、Bの死亡が確認された。
  (5) Bの死因は、前記点滴静注により投与された本件各薬剤のいずれか又は双方の作用に基づくアナフィラキシーショックによる急性循環不全である。
  (6) ペントシリンの添付文書(能書き)には、使用上の注意として、ショックが現れるおそれがあるので、十分な問診を行うこと、ショック発現時に救急処置が執れるように準備をしておくこと、投与後、患者を安静の状態に保たせ、十分な観察を行うことと記載されているほか、ペントシリンの成分によるショックの既往症のある患者には投与しないこと、ペントシリンの成分又はペニシリン系抗生物質に対し過敏症の既往歴のある患者には原則として投与せず、特に必要とする場合には慎重に投与すること、セフェム系抗生物質に対し過敏症の既往歴のある患者や気管支ぜん息、発しん、じんましん等のアレルギー反応を起こしやすい体質を有する患者には慎重に投与すること、副作用として、まれにショック症状を起こすことがあるので、観察を十分に行い、不快感、口内異常感、ぜん鳴、めまい、便意、耳鳴等の症状が現れた場合には投与を中止すること、ときに、発熱、発しん、じんましん、そうよう、また、まれに浮しゅ等の過敏症状を起こすことがあるので、これらの症状が現れた場合には、投与を中止し、適切な処置を行うことと記載されている。
 ミノマイシンの添付文書(能書き)には、使用上の注意として、既往にテトラサイクリン系薬剤に対する過敏症を起こした患者には投与しないこと、副作用として、まれにショック症状を起こすことがあるので、観察を十分に行い、不快感、口内異常感、ぜん鳴、めまい、便意、耳鳴等の症状が現れた場合には投与を中止し、適切な治療を行うこと、まれに発熱、発しん、じんましん、光線過敏症、浮しゅ(四肢、顔面)等の症状が現れることがあるので、このような症状が現れた場合には投与を中止し、適切な処置を執ることと記載されている。
  (7) アナフィラキシーショックに関する医学的知見は、次のとおりである。
 アナフィラキシーショックは、体内のIgE抗体と抗原との反応によって生ずるものであり、原因物質としては、抗生剤等の薬剤のほか、動物毒や食品によるものがあり、抗生剤では、ペニシリン系のペントシリン、テトラサイクリン系のミノマイシンのいずれもがショック発症の原因物質となり得るとされている(ペントシリンの方がショックの発生頻度が高い。)。
 ぜん息、アトピー等のアレルギー性疾患を有する患者の場合には、抗生剤等の薬剤の投与によるアナフィラキシーショックの発症率の上昇が見られる。
 薬物によるアナフィラキシーショックは、前駆症状として、口中異常感、悪寒、しびれ感等が起こり、次に血圧の低下、こう頭浮しゅ、呼吸困難等に至るものであって、急激に発症し、しばしば急速な症状の進展が見られる。薬剤が静脈内に投与された場合のアナフィラキシーショックは、ほとんどが5分以内に発症するものとされている。
 アナフィラキシーショックが発症すると、病変の進行が急速であることから、薬剤の投与後に十分に経過観察を行い、初期症状をいち早く察知し、治療をできるだけ早期に行うことが大切であり、アナフィラキシーショック発症後5分以内に救急処置を執ったか否か及びその内容により予後が大きく左右されるとされている。そして、救急治療としては、まず原因となった薬剤の投与を中止するとともに、気管内挿管や気管切開により気道を確保し、更に静脈路を確保し、輸液やアドレナリンなどの投与を行う等の措置を迅速に執る必要があるとされている。
  3 原審は、上記事実関係の下において、次のとおり判断して、上告人らの請求を棄却すべきものとした。
  (1) 本件各薬剤の投与は、従前から投与していた抗生剤の一部を変更したものにすぎず、それまでの抗生剤の投与によってBに異常が現れた形跡がなかったこと、本件各薬剤の投与に当たって薬剤の一部変更があったものの、本件各薬剤の投与によってショックが発症する確率は極めて低いこと、本件病院においては、夜間に当直の医師及び看護婦を複数配置していたことを考慮すると、本件各薬剤の投与に際して本件病院の医師又は看護婦がBに付き添って経過観察を行うべき注意義務があったとまでいうことは困難であり、上記医師等に、上記注意義務を怠った過失があるとはいえない。 
  (2) E医師は、Bの病室に駆けつけるや直ちにアンビューバッグによる人工呼吸を開始しているのであり、また、F医師が行ったこう頭せん刺により気道が確保されてからは、直ちにボスミン等の投与が行われているのであるから、上記両医師のBに対する救急措置に過誤があったということもできない。
  4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
 前記の事実関係によれば、次のことが明らかである。
  (1) 本件各薬剤は、いずれもアナフィラキシーショック発症の原因物質となり得るものであり、本件各薬剤の各能書きには、使用上の注意事項として、そのことが明記されており、抗生物質に対し過敏症の既往歴のある患者や、気管支ぜん息、発しん、じんましん等のアレルギー反応を起こしやすい体質を有する患者には、特に慎重に投与すること、投与後の経過観察を十分に行い、一定の症状が現れた場合には投与を中止して、適切な処置を執るべきことが記載されている。
   (2) Bは、受診の際に提出した前記申告書面及びY2による問診において、薬物等にアレルギー反応を起こしやすい体質である旨の申告をしており、Y2は、その申告内容を認識していながら、Bに対し、その申告に係る薬物アレルギーの具体的内容、その詳細を尋ねることはしなかった。
   (3) 本件手術後、Bに対しては、抗生剤が継続的に投与されてはいたが、本件のアナフィラキシーショック発症の原因となった前記点滴静注において投与された本件各薬剤のうち、ミノマイシンは初めて投与されたものであり、ペントシリンは2度目の投与であった。
   (4) 医学的知見によれば、薬剤が静注により投与された場合に起きるアナフィラキシーショックは、ほとんどの場合、投与後5分以内に発症するものとされており、その病変の進行が急速であることから、アナフィラキシーショック症状を引き起こす可能性のある薬剤を投与する場合には、投与後の経過観察を十分に行い、その初期症状をいち早く察知することが肝要であり、発症した場合には、薬剤の投与を直ちに中止するとともに、できるだけ早期に救急治療を行うことが重要であるとされている。特に、アレルギー性疾患を有する患者の場合には、薬剤の投与によるアナフィラキシーショックの発症率が高いことから、格別の注意を払うことが必要とされている。
   (5) しかるに、Y2は、本件各薬剤をBに投与するに当たり、担当の看護婦に対し、投与後の経過観察を十分に行うようにとの指示をしておらず、アナフィラキシーショックが発症した場合に迅速かつ的確な救急処置を執り得るような医療態勢に関する指示、連絡もしていなかった。そのため、本件各薬剤の点滴静注を行ったC看護婦は、点滴静注開始後、Bの経過観察を行わないで、すぐに病室から退出してしまい、その結果、アナフィラキシーショック発症後、相当の間、本件薬剤の投与が継続されることとなったほか、当直医による心臓マッサージが開始されたのは発症後10分以上が経過した後であり、気管内挿管が試みられたのは発症後20分以上が経過した後、アドレナリンが投与されたのは発症から約40分が経過した後であった。
 以上の諸点に照らすと、Y2が、薬物等にアレルギー反応を起こしやすい体質である旨の申告をしているBに対し、アナフィラキシーショック症状を引き起こす可能性のある本件各薬剤を新たに投与するに際しては、Y2には、その発症の可能性があることを予見し、その発症に備えて、あらかじめ、担当の看護婦に対し、投与後の経過観察を十分に行うこと等の指示をするほか、発症後における迅速かつ的確な救急処置を執り得るような医療態勢に関する指示、連絡をしておくべき注意義務があり、Y2が、このような指示を何らしないで、本件各薬剤の投与を担当看護婦に指示したことにつき、上記注意義務を怠った過失があるというべきである。
  5 そうすると、Y2には、上記注意義務を怠った過失があるから、これと異なる原審の判断には、判決の結論に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があり、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。そして、本件については、上記過失とBの死亡との間の因果関係の有無等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すこととする。
 よって、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

最高裁判所第三小法廷
 裁判長裁判官 藤田宙靖
     裁判官 金谷利廣
     裁判官 濱田邦夫
     裁判官 上田豊三